こんにちは!
シランバイです。
日本三名泉の一つでもあり、日本三古泉の一つでもある有馬温泉。
631年舒明天皇が約3か月滞在したことが日本書紀に見られるとあり、奈良時代には行基が温泉寺を建立。
古代→中世→近世→近代・現代へと続き
中でも、1192年戦乱で荒廃した有馬温泉を復興に導いたのは、仁西上人。
太閤秀吉に至っては秀吉像、太閤の湯殿館、秀吉の正室(ねね様)の別邸跡に建てられた念仏寺、瑞宝時公園の秀吉愛用の石の碁盤などが有名です。
太閤秀吉が、どれだけ有馬を愛し、力を入れていたのかが分かります。
湯けむり広場の太閤秀吉像
入梅前に泉源7ヶ所めぐりをして来ました!
①ねね橋スタート⇒金の湯
↓
②御所泉源
↓
③極楽泉源
↓
④念仏寺(お昼ご飯)
↓
⑤炭酸泉源
↓
⑥うわなり泉源
↓
⑦天神泉源
↓
⑧有明泉源
こんな感じで進もうとしていますが
自分の好きなコースでね(^^ゞ
他のコースも書いてあるリーフレットが参考になるから
観光総合案内所でもらってね!
(ねね橋近く)
開設:9:00~19:00
休館日:年中無休(年末年始は時間短縮)
ちなみに、ねね様は太閤秀吉の正室で、後の高台院。
出発しましょう!
観光総合案内所の前を通り、バス乗り場の角を左に、坂道を上る。
この通りは、有馬温泉で一番賑やかな通りで太閤通り!むかし、むかしの話で
すが、確か銀座通りって呼ばれていたよなぁ(^^;)
金の湯
浴用の温泉は有明泉源から引いている濃い金泉(きんせん)で、強塩泉のため鉄分が
酸化して赤茶色に濁っている。
玄関横に無料の足湯と飲泉場があり、こちらは極楽泉源から引いている。
今日は、足湯はお休みできれいに清掃してました。
(第二・第四火曜日および一月一日はお休み)
御所泉源
泉質:金泉(含鉄・ナトリウム・塩化物強塩高温泉)
温度:97℃
深さ:165メートル
金の湯から、階段を上ると御所泉源。
温泉寺の方に抜ける道の途中にある。
湯けむりと共に、シャーシャーと勢いよく吹き上がる音!に温泉を実感。
有馬は、坂が多く道幅も狭いが、登り切った平地に出ると温泉寺。
温泉寺・極楽寺・極楽泉源・念仏寺に立ち寄ってみる事にします。
行基のこと!もっと知りたいコーナー
記事の最初の方に、行基が温泉寺を建立とあったが、その時に湯槽に使った良材を、この山から伐りだした事から、山の名前が湯槽谷山(ゆぶねだにやま)って付いたんだね。
奥の真ん中の山がそうなんだ。
有馬市街 明治中期
薬師如来との出会い
行基が生きた時代は、今からおよそ1300年前の事である。
彼は、早くに出家して仏教を学び、やがて民間布教と
結び付けて、橋、池、道などを造り、寺を各地に開き、
信望を集めて、菩薩と呼ばれるようになった。
昔、有馬の山中に温泉があった。
あるとき、行基は猪名野を有馬に向かっていた。
すると、男の病者が山に倒れていた。
行基は、哀れに思い食べ物を与え看病した。
病者の腐った皮膚をなめ、苦痛から救ってやると、その姿は
薬師如来になり、「私は温泉の行者である。慈悲の心を試みた。
行基よ、温泉をひらき、衆生を救済しなさい。」と告げ、いなくなった。
行基は薬師如来の告げにしたがい、薬師如来の石像と如法経を温泉の底に埋め、
堂塔を建立して温泉寺を開創した。
行基は仏の前で、この温泉は、現世では徐病延命の益を、来生には金剛堅固の身を人々にもたらすよう誓願をたてた。
こうして有馬の温泉は栄えるようになった。
温泉寺資料館参考
誰もが知るお三方です!
行基上人(ぎょうき)
(668~749)
行基は、奈良時代に有馬を訪れ、温泉寺、蘭若院、施薬院、菩提院の一寺三院を建立し、有馬温泉の発展の基礎を築いたと言われている。行基の功績は、「温泉寺縁起」などでうかがい知ることができる。
仁西上人
(生没年不詳)
仁西は、鎌倉時代に荒廃していた温泉の修理を行い、有馬温泉を復興させ、薬師如来の十二神将にちなんで十二の宿坊を開いたと伝えられている。宿坊の名前は、現在の「~坊」として、その名ごりをとどめている。
太閤秀吉
(1537~1598)
秀吉は、北政所や千利休などを伴いたびたび湯治に訪れ、茶会を催して楽しんだ。また、戦乱と大火により衰退していた有馬の泉源改修、浴場改築、河川改修などを行い、後の繁栄の基礎を築いた。
有馬温泉資料館参考
極楽泉源
泉質:含鉄・ナトリウム一塩化物強塩泉
温度:93℃
深さ:約240メートル
太閤秀吉が湯殿に使用するために作らせたと言われる泉源で
極楽寺と銀の湯のあいだにありますので
通りすぎないでね!
悠久の時の流れに思いを馳せみた
月も日も
いのち有馬の湯にうつり
やまいはなしの花とちりけり
羽柴秀吉
命長らえてやってきた有馬の湯に月も日も美しくなり、そのすばらしさに病はすっかり治ってしまった。
出典「有馬温泉資料」
有間山
いなの笹原かぜふけば
いでそよ人を忘れやはする
有間山・猪名の笹原は風が吹くとそよそよと音を立てる。どうしてわたしがあなたを忘れることをしましょうか。
決して忘れたりいたしませんよ。
出典「百人一首」
しなが鳥
いな野をくれば有間山
夕霧たちぬ宿はなくして
猪名野を歩いてくると有間山に夕霧が立ってきた。
まだ泊まる所も決まっていないのに。
詠み人知らず
向かいの念仏寺でお昼ごはん(^^♪
樹齢270年の沙羅双樹(朝咲いて夕方には散りゆく花)
情緒あるお庭で、今日一日だけ出合えた沙羅双樹の白い花!
ありがとう!って感じ❣
メニューはドライカレーのみだが、後からくる辛さが、添えてあるピクルスで後味スッキリ!美味しかったです( ^)o(^ )
飲み物もあり
炭酸泉源
泉質:単純二酸化炭素冷鉱泉(銀泉)
温度:18.6℃。
銀の湯の前を通って、ねがい坂→タンサン坂
炭酸泉源公園の中に炭酸泉源はあります。
炭酸泉について
明治6年に湯山町戸長の梶木源次郎が横浜の平野留七という人から湯山町杉が谷に炭酸ガスを含む泉が湧くところがあることを聞き、毒水と呼ばれ、人が近づかなかったこの泉を思い出し、その後、兵庫県庁に要請し、内務省司薬場の検定を経て、炭酸泉を開いたということです。
また梶木源次郎は、道路の改修や地祖改正などにも尽力し、地元の人々がその功績を讃えて、この碑を建てたことも記されています。
シュワシュワシュワ―!と天然の炭酸が飲める。
少し鉄分の匂いがあるが、甘みのない炭酸泉!
うわなり泉源
泉質:金泉(含鉄ナトリウム・塩化物強塩高温泉)
温度:93.8℃
有馬かごの前を通り抜け左に、湯本坂を少し下ると赤い鳥居がある。
細い道を左に行き、民家に挟まれた所にある。
変わった名前の妬(うわなり)泉源です。
美しい女性がそばに立つとお湯が嫉妬して、100℃近くの高温が噴き出すようになった、そのことがきっかけとなって妬(うわなり)泉源と名づけられたと言われています(おかしいなぁ?怖いくらいゴーゴー!シューシューと噴き出していた(^-^;)
冗談はそのくらいにして、もと来た道(湯本坂)まで戻って左に。
湯本坂で、赤いポストを見つけたら、右手に天神泉源!
天神泉源
泉質: 金泉
温度:100度
深さ:185メートル
今日はメンテナンスの日でお仕事をされていました。
源泉を囲ってる木材も、いちばん堅い木を使っても、すぐに傷む
一週間に一回は泉源のパイプの掃除、交換、やはり出口の方がつまりやすい
極楽泉源は週に、ニ~三回は手入れされるとか。
つまりの原因は、炭酸カルシュム、マグネシウム...。
分かりやすいように、血管のつまりを例にとり説明してくれました。
今年の1月頃に、(ブラタモリ)でタモリさんの番組に出演されたと伺いました。
凄い人と出会いました(^.^)
人気者ですね!
有明泉源
泉質:金泉
温度:90℃
天神泉源から有明泉源へ
細い道で、この道で大丈夫?って位の道です。
工事中で近くまでいけませんので上の方から撮りました。
まとめ
今回は泉源コースも然る事ながら、足の向くままに気の向くまま、湯泉神社まで行くと、あたご山まで登り、鳥地獄・虫地獄のある、こぶし道の方にも行ってきました。
泉源コース以外にも
歴史コース
瑞宝時公園コース
六甲ハイキングコース
鼓が滝コース
などがあります。
天神泉源で出会った
源泉管理SPECIALIST
田中敦之さん
ブログの事、写真も載せてもいいですか?
快く承諾して頂きました。
ありがとうございました。
皆様も
読んでいただきありがとうございました。